PM2.5 に悩むの巻

この1週間ほど呼吸器系と眼粘膜が炎症起こしまくりで大変です。原因はPM2.5っぽいです。空気がとっても刺激的です(物理)。どういうことかというと、眼や鼻の粘膜に刺すような感覚をもたらします。

昨夜も、外で何か燃えているんじゃないか勘違いするほど、刺激臭のような匂いを感じていたんですけど、どうやらこれがPM2.5らしいです。

こんな感じなので、症状は咳と鼻水で終わるわけはなく、めまいやふらつきといった方面まで影響を及ぼして、午後はぐったり、という感じでした。花粉症とダブルパンチなので、早く雨が降ってほしいです。

アラベスクはアラビア風の模様のことなのか?の巻

徒然なるままにというか、気が向いたときに、適当に音楽美学を勉強しています。

そんなわけで、アラベスク

ピアノを習っていた人は、ブルグミュラーとかドビュッシーとか、ちょっと詳しい人はシューマンの曲を思い浮かべると思います。バレエ好き、少女漫画好きな人は山岸凉子先生の作品を思い出すでしょう。そして、みんなアラベスクってどういう意味なのだろうと、疑問に感じるのではないでしょうか。

楽曲解説や辞書には「アラビア風の模様。唐草模様」と書かれていていますが、それが音楽と何の関係があるのか、いまひとつピンときません。ということは、解説や辞書が間違っていたり、説明不足の可能性があるのではないか?と疑い始め、この数年間かけてアラベスクについて勉強してきました。

その結果、アラベスクはアラビア風という意味にとどまらず、芸術における美の概念であるということがわかりました。本エントリーはその報告(中間報告)です。

アラベスクとは。
もともとは辞書のごとくアラビア様式の模様のことなのですが、転じて「人為的に統制された、混沌や混乱や不自然さを用いた美の表現」という意味を示すようになります。これがさまざまな派生を生んだと考えられます。たとえば、下記のようなものです。

  • 文学では、特にロマン派文学において混沌が重要な要素になりますが、でたらめではいけないということで、アラベスク理論つまり統制された混沌が重視されました。
  • 音楽では、たとえばシューマンピアノ曲アラベスク」は、混沌より統制が重視され、文学的要素も希薄でそれゆえ習作感があります。しかし「クライスレリアーナ」になると統制された混沌が見事に表現されます。
  • 「グロテスク」と同義なものをアラベスクと呼ぶことも、しばしばあるようです。グロテスクとは、古代ローマを起源とする異様な人物や動植物等に曲線模様をあしらった美術様式で、曲線の使い方が上記のアラビア模様と似ているので、区別せずに使われていたようです。
  • さらに派生して文学や演劇における共感と嫌悪感の双方を抱かせるような人物はグロテスクであると考えられていて、これもまたアラベスクと混同されます。「ああ無情」のジャン・バルジャンなどが典型例でしょう。
  • クラシックバレエにおいて、片脚で立ち、もう一方の足を上げる有名な姿勢も、アラベスクと呼ばれます。たいていはトウ(つま先)で立ちます。姿勢は完全に統制されていますが、自然ではありえない姿勢です。不自然なものを完璧に表現する、それが美である、という考え方ではないかと思います。

自分もまだまだ勉強中なので、勘違いや行き届かないことがあると思いますが、とりあえず以上といたします。

Roland RD-2000 を試奏してきましたの巻

印象を箇条書きでまとめます。

  • 従来のRDシリーズより軽いタッチの鍵盤。白鍵はまずまずだが、黒鍵の材質がよくなく、弾き心地はいまひとつ。(黒鍵が良くないのは、他メーカーでもありがちです)
  • サウンドは落ち着いた印象の音色が多いです。V-piano音源はサスティン部の響きのシミュレーションに違和感があって、音数が少ない曲をソロでポロンポロンと弾くのは厳しそう。パラメータを追い込めば気にならなくなるかもしれません。
  • ピッチベンダーとモジュレーションホイールが2つついたのはありがたいが、88鍵の左端で遠いので、操作がむずかしい。
  • 最近のローランド製品らしく、いろいろ光ります。
  • ノブやスライダーなどの操作子の動作感が少々安っぽいけど、プログラムチェンジボタンなどを含め適度に大きくて押しやすく、好感触です。
  • 液晶ディスプレイが小さく見づらい。ディスプレイサイズが小さいし、フォントも小さい。INTEGRA-7あたりからの流用かと思いますが、もうちょっとなんとかならなかったのかと思います。変なところでコストダウンした感じ。
  • サイズ感は思ったほど大きくなかった。RD-300と並べて置いてあったのですが、同じ大きさに感じました。
  • USB-MIDIモードが2つあるのはローランドの伝統で、本体のDAを使いたいときなどはVENDERモードにしないと動作しないので要注意。基本的にはVENDERモード固定で使うのがいいと思います。(グローバルパラメータです)
  • たぶん買います。ヤマハP-300*1以来のステージピアノ購入になりそう。

*1:現役で使ってます。

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ終了の巻

一期は鉄華団を中心にした一種のロードムービーで、二期は鉄華団の崩壊が描かれました。二期はなかなか視点が定まらず迷走した感もありますが、ラスタルとクーデリアの姿勢がブレなかったので、なんとかまとまったと思います。

そのラスタルですが、二期の最初のエピソードでいきなり堂々と登場させたのは、シリーズ構成上問題があると思いました。一期のうちにもっと出しておくべきだったと思います。また地球で小競り合いをだらだら続けていましたが、リソース(ヒト・モノ・カネ)には限りがあるのに、そのあたりを全く気にしないのは、演出としていかがなものかと思いました。鉄華団がいつもカツカツな状態(一期は貧乏体質、二期は人不足)でやりくりしているので、潤沢なギャラルホルンを対比として見せたかったのかもしれませんけど。

こんな感じでいろいろ問題はありましたが、性格が変質してしまったマクギリス以外は最終回までブレずに描けていて、キャラクターの魅力で持ったアニメだという印象が強かったです。

あとはそのキャラクターについての感想です。

自分が気に入っていたのが、まず昭弘です。昭弘と三日月の関係性は、一期の最初からじっくり描かれていましたし、デブリの子たちにアルトランド姓を与えるなどして、鉄華団が家族であるということを具体的に示したキャラだったと感じました。

次のお気に入りキャラが、問題のシノです。なぜ問題かというと、おっぱい魔人のノンケ男子だと思っていたら、公式からバイセクシャルという情報が出まして、ちょっと混乱したからです。ですが、よくよく考えるとバイだということで逆に納得できるシーンもあったので、腑に落ちた次第です。どの場面かというと、ヤマギが好意を寄せていることを認識して、真剣に悩むところです。そもそも真剣に悩んでいるのがノンケとしては変な感性だと思いますし、しかも「俺たち家族だろう?」と言って悩んでるんですね。家族でなかったら、ヤマギの好意を受け入れられる可能性があったのか?ということになりますが、なるほど可能性はあったんだな、ということですわ。

以上のシノのバイセクシャル判明事件*1は、腐った鉄血クラスタへの激震?になりまして、自分がこのエントリを上げるのが遅れた原因も、ひとえにこの一件が納得できなかったことによります。アニメキャラのセクシュアリティなんかどうでもいいと思っていたんですけど、シノはそういうわけにはいかなかった。過剰にノンケっぽさを装っておっぱいおっぱい騒ぐのは、若いゲイやバイセクシャル男子のあるある事情だったりするということですし、いつも明るくてバカっぽく振る舞っているシノが、実は人一倍愛情深い人間だということは端々で描かれていて、自分はそういうところが好きでした。ヤマギの気持ちがなんとなくわかります。おっと、シノの項目が長すぎですね。

あと、どうしても言及したいのがジュリエッタです。彼女はギャラルホルンにいながら、鉄華団のことを最も理解していました。ガエリオが、将来ギャラルホルンを統轄するのは彼女だと言っていましたが、この明晰な洞察力と*2、野心のなさ*3を買ったからだと思います。もちろん、マクギリスも鉄華団に対する理解というか、親近感を持っていたのは事実ですが、彼自身もオルフェンズの1人だったことを考えれば、ある意味では当然ともいえます。ジュリエッタは何度も三日月とバルバトスに圧倒されながら、「なぜ彼らはこうも抗うのだろう」と自問しながら鉄華団と戦いました。バルバトスを討ち取った勝ち名乗りには、悲痛さすらありました。さらに、鉄華団との争いが集結した後も同じように、なぜ、と考え続けていたはずです。そして最終回Bパートの結論に到達する流れは、とても納得がいくものでした。ギャラルホルン側のキャラ描写で一番成功したのが、彼女だったと思います。

ほかにも、クーデリアの成長ぶりとか*4、怒涛の攻めで正妻ポジションをゲットしたアトラとか、大勢の登場人物をよく描ききったと思います。最終回で1カットでいいからアルミニアが登場してほしかったですね。そこがちょっと残念ですけど、キャラ描写に関してはとても充実していたアニメで楽しかったです。

*1:勝手に事件化

*2:こういう能力は、ガエリオにはなかった。

*3:なんだかんだでラスタルは野心家

*4:最終回の調印シーンは、双方ともいろいろ思うところはあるけれど、ということがよくわかる名シーン

オーチャードホールの巻

アクセス

渋谷地下街3a出口、つまり109の地下からエレベーターで上がって、道玄坂に入るのが一番行きやすいと思います。井の頭線の神泉からも行きやすい。
ホール入口は道玄坂からさらに上がったところにあるので、まず東急本店に入って、その奥のBunkamuraに行くとエスカレーターやエレベーターでホール入口まで段差無しで到着します。

構造的欠陥

ステージ後方の楽器(合唱団含む)の音は、反響板からの反射音のほうが大きく聞こえる座席があります。天井がやたらと高いので音の到達が0.1秒以上遅れます。これはテンポ120で16分音符1つの遅れに相当するので、致命的です。この欠陥の影響を受けないのは、すべての楽器から直接音が届く座席、すなわち1階席前方、2階席・3階席の前方しかありません。
クラシックの場合、ピアノソロや編成の小さい演奏会では問題にならないと思いますが、大編成の場合は覚悟が必要です。ポップスのようにPAを使う場合は、特に問題はないと思います。

シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽の巻

23日の昼公演・夜公演の2回聞きました。

昼公演は1階席の後方になってしまい、音量は小さいし合唱やパーカッションの音が半拍くらい遅れて聞こえる*1という最悪の音響で、ろくに楽しめませんでした。この件に関しては、ホール評価のエントリーをあげましたので、興味のある方はご覧ください。夜公演は1階席中央前方で、音響の問題はほとんどありませんでした。

 

harnoncourt.hatenablog.com

1.プログラム構成

下記のようにシンゴジラエヴァの曲が交互になる構成です。

第一部:シンゴジ→エヴァ→シンゴジの3パート

第二部:シンゴジ→エヴァ→シンゴジ→エヴァ→シンゴジの5パート

第三部:シンゴジ→エヴァエヴァ+シンゴジの3曲(アンコール風)

第二部のラストで東海大学吹奏楽研究会のみなさんが入場して宇宙大作戦マーチは盛り上がりました!

2.アレンジについて

シン・ゴジラエヴァンゲリオン」ということで、エヴァTV版の曲にシン・ゴジラ劇伴のパッセージを混ぜたアレンジ曲が多かったです。また、バンド演奏とオケ演奏を行ったり来たりような、演奏が難しいアレンジありました。新劇場版の曲はオリジナルに近いアレンジでした。こうなった要因としては、TV版の楽曲はコンボ編成でアレンジの自由度が高いということと、その反面、新劇場版やシン・ゴジラの曲はフルオーケストラが基本で、アレンジ変更が容易でないという事情が関係しているように思います。

3.演奏の印象

ニコニコ動画でも中継された23日の夜公演は最終公演ということもあり、ソロの即興がフリーダムで楽しかったです。(実はこういう状況を期待していました)

ただ鷺巣先生がフリーダムすぎて、THE BEASTではキーボードに肘鉄を打ちまくって破壊してしまいました(笑)

本公演は、セクションごとにマイクが立っていたので、マルチで録音されていたと思います。ニコ動で中継されなかった公演でもマイクとカメラが入っていたので、CDやBlu-rayの発売がありそうです。また、4月30日にBSプレミアムで短縮編集版が放映されるとのことです。

*1:反響板に当たった音が大きく聞こえるため

Roland RD-2000 がハイ・レゾリューション・ベロシティに対応していたの巻

まもなく発売になるステージピアノRD-2000ですが、ハイ・レゾリューション・ベロシティの送受信に対応するそうで、期待がさらに高まりました。

ベロシティというのは、鍵盤を弾いたときの強さ(正確には打鍵速度)のことで、MIDI規格では127段階(7ビット長)になっています。しかし、これでは足りないということで、1024段階とか、それ以上の分解能を持つ製品が登場してきました。こういうベロシティのことを、ハイ・レゾリューション・ベロシティと言います。

日本ではカシオのデジタルピアノがハイレゾベロシティ化されていて、特に上位機種のGP-300やGP-500は弱音の表現力が際立って優れていると思います。ただ残念ながら、日本製ではカシオ以外でメジャーな製品はありませんでした。*1

アコースティックピアノでは、打鍵の強さに合わせて音色も連続的に変化しますが、ローランドの音源ではベロシティ数値が1変わるだけで、明確に音質・音量が変わってしまいます。つまりグラデーションのような、無段階にきこえる演奏表現ができません。自分が使っているINTEGRA-7のピアノ音は、この現象が顕著にわかります。

RD-2000にはV-piano音源のほかにINTEGRA-7と同じSuperNatural音源のピアノも搭載されますが、ハイレゾベロシティの恩恵を受けられるようなので、今からかなり楽しみです。

 

*1:ヤマハのディスクラヴィアが対応しています。