内田光子ピアノリサイタル@サントリーホールの巻

オール・モーツァルトプログラム

今回の内田さんのリサイタルは2種類のプログラムだったのですが、ベートーヴェン・プログラムは一昨年に聴いたのでモーツァルト・プロを鑑賞しました。特に前半の幻想曲〜ソナタK.457〜アダージョ が白眉でした。もう誰が聴いても明らかだと思いますがこの前半のテーマは「死」。ひたすら重く、苦しく、辛いのです。しかし素晴らしい説得力。アゴーギクデュナーミクはもちろん、音色が豊富な上にその使い分けが的確なので、モーツァルトの曲の中でもとりわけつかみ所の少ないこの3曲が実にわかりやすく展開していきます。沈静した音色で死を表現し、ときおり明るい音色で光が差してきます。基本的には弱音重視ですが、低音の動機がかなり重いフォルテで弾かれる場面もあり、まさに地獄絵図を繰り広げました。こんな調子が1時間も続くのですから、もはや拷問といってもよいと思います。ラストのアダージョは特にすさまじく、「このままどん底に突き落とされたまま終わったら、本当にみんな死んじゃうよ」と思っていたのですが、最後の最後、ロ長調に転調すると同時に音楽がふわっと浮上したのです。まさしく死を受容した瞬間です。そう、モーツァルトにとって死は恐怖の対象ではなく、友人のようなものだったのです。この演奏解釈には心底脱帽しました。感動、感涙。
さて、後半とアンコールは長い拷問に耐えた聴衆へのご褒美です(笑)。美智子皇后もご臨席され、会場の雰囲気もぐっと明るく華やいだものになりました。内田さんのピアノもそんな空気を反映するかのように速いフレーズは絶妙にうねり、対位法の表現は冴え渡り、高音がきらめく。ああこの人はやっぱりすごい。超一流です。ベートーヴェンソナタでほんの少しだけ気になったフォルティッシモにおける弱さも、モーツァルトでは問題になりません。なぜならモーツァルトの音楽には大ホールに響き渡らせるほどのフォルティッシモは要らないから。フォルティッシモから解放されることでこんなにも自由なピアニズムになるなんて、やっぱりこの人はモーツァルト弾きだったんだなあと納得したところで終了です。おまけにアンコールはどうしても生演奏で聴きたかった2曲でしたので、もう大満足。
というわけで、私の中で最高のモーツァルト弾きはどうやら内田光子に確定です。残念なのは80年代のスタジオ録音盤が彼女の魅力を伝え切れていないこと(若い時期の録音なので仕方ないですが)。しかし、ピアノ協奏曲は2000年にカメラータ・ザルツブルクを弾き振りしたDVDが出ていて、ニ短調(20番)の録音としてはこれが最高峰と思っています。またピアノソナタは1990年のライヴ盤が再発されて、これが実に素晴らしいのでぜひ聞いてみてください。
余談ですが、美智子皇后の美しさと気品はすごかったです。お姿が見えると同時に会場総立ちの拍手になりました。あれほどのオーラが出ていたら誰もが釘付けになるのも当然かと。さらに余談ですが、美智子皇后はとてもピアノがお上手なのです。以前、テレビでピアノを弾いていらっしゃる場面が放映されたのですが、音色の美しさといい自然な音楽性といい、どう見ても専門家です。歴史に「もし」は禁物なのですが、皇室にお入りになっていなかったらサントリーホールのステージに立っていたかも…とか考えてしまいますね。