ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチ続編の巻

ショスタコーヴィチ 交響曲第8番

この曲のロストロポーヴィチの録音は2種類あります(NSOとLSO)。そして、どちらもものすごく評判が悪いんです。私は大好きなのですが、「ロストロは全くやる気がない」なんていう人もいました。*12つの演奏解釈は全く同じです。今回の演奏会においても、これらの録音と全く変わらない内容で、ずっと前から確固とした信念に基づく演奏解釈だったことがわかりました。

緊張感の持続

ショスタコービチらしい不協和音の強奏で緊張感が高まるのは当然なのですが、ロストロポーヴィチは限界まで音量を絞ったピアニッシモを多用することで緊張感を持続させます。第一楽章のバイオリンによる主題から非常に小さい音量を使用して「こんなピアニッシモを使いますよ」と宣言。第四楽章や第五楽章に至ってはほんのわずかに弓を動かす程度のギリギリのピアニッシモを多用し、ありえないほどの緊張感を作っていました。管楽器ソロがテーマを演奏している後ろで、気づかないくらいの音量でひんやりとした弦が入っているのです。これはもう、日常に潜む恐怖の表現としか思えません。*2一見、平穏に見えるような曲調なのですが、どこか冷たく不気味な感じさせるピアニッシモなのです。

悲鳴と絶叫

第一楽章展開部などの不協和音は、断末魔の悲鳴と絶叫にしか聞こえませんでした。ピアニッシモで作り上げた緊張が一気に爆発します。統制のとれる最大限の音量で攻めており、ホール全体が異様な緊迫感に満たされてしまいました。あの場にいた人はみんなものすごい恐怖を感じていたと思います。

抽象化された感情を伝えきったロストロポーヴィチ

この曲は単純なモチーフを使って、さまざまな感情を抽象化して表現しています。純音楽的な要素を重視して、構成感を維持しつつ演奏をまとめようとすると、どうしても感情の部分が抜け落ちてしまいがちです。「ドレド」「ドシド」のモチーフにどのような意味を見出せるかが、とても大切なポイントだと思うのです。この点においてロストロポーヴィチは非常に深いアプローチを見せてくれました。単に当事者に近かったから成しえたとは思えません。まずは音楽的な思索をめぐらす能力が段違いに高く、そういう基礎があってこそああいう演奏表現になると思います。しかしロストロさんかなりやせていましたし(体力的に衰えたようには見えませんでしたが)、年齢を考慮するとこれから長い間指揮活動を続けられる保障はありません。さまざまな指揮者を聴いてきましたが、ロシア音楽の演奏解釈の深さ、ディテール表現の緻密さにおいて彼に勝る人はいません。幸いなことに日本に来る機会が多い人なので、次回も絶対に聴こうと心に決めました。

*1:あれだけ重い情念の渦巻く演奏のどこに「やる気がない」のか、小一時間ほど問い詰めたい気分。

*2:あえて共産党とはいわない。高度に抽象化された恐怖なので。