最近聴いたCDの巻

エル=バシャ:バッハ平均律集第1巻

真正直に日本国内で購入すると超ボッタクリなので並行輸入で買いました(半値以下w)。演奏内容はいつもと同様に、複雑なフーガや音符の数が多い曲だとめちゃくちゃ明晰です。ですが、フーガにおいて一切アインザッツを強調しない上に、メカニックが超絶的に正確で4声だろうとなんだろうとどの声部も同じ調子でスイスイ弾いてしまうので(汗)リスナーに対してものすごく不親切です。ぶっちゃけわかりにくい。エル=バシャさんの頭の中ではすごく整理されてると思いますが、整理の終わったものをポイッと投げ捨てるがごとくの演奏では困ります。とりあえず音質がものすごくいいので、BGMとして最適です。青澤隆明が苦心惨憺とした解説を書いていて心が温まりました。なんとかしてエル=バシャのピアニズムを誉めようと四苦八苦w
HMVでは微妙に勘違いしてるっぽいリスナーに絶賛されてますが、自己表現を拒絶した録音から好き勝手にファンタジーを思い起こせる特殊能力を持った人にとっては、余計な雑味がない蒸留水のようなこの演奏が最適ということでございます。よくぞここまで「私」というものを捨て去ることができると思う。そこはすごく感心します。
誰も書かないので私が書きますが、これは真にシュルレアリスム的解釈の極致といえる演奏で、その観点でもっと絶賛されるべきだと思います。
エル=バシャのピアニズムをどう表現するか悩んでいたのですが、シュルレアリスムという言葉でおよそ言い尽せると思います。クラシック演奏家の人格を反映した表現が重視される時代にあって常に冷徹な解釈を維持するスタイルは極めて異端であり、それゆえに唯一無二の個性だと思います。このスタイルとラヴェルの音楽はかなり一致するはずなんですが、エル=バシャは全集の録音においてラヴェルの心−実はヒューマニズムに満ち満ちた心−を「あえて」無視してしまったように思います。Forlaneの録音はラヴェルの心をしっかり捉えていたんですが、残念ですね。

グレムザー:スクリャービン ピアノソナタ集1

アムランとか小山実稚恵とかしょうもない本来スクリャービンに向いてなさそうなピアニストの演奏ばかり聴いてすっかりスクリャービン嫌いになってしまった私をようやく連れ戻してくれるCDに会えました。ストップ健康第一氏には大感謝です。というか幻想曲が本気で弾きたくなりました。ショパンの書法とシューマンのアイディアとスクリャービンの左手が合体するとこういう幻想曲になるんだ、というかんじ。

右手パートがショパンのバラード4番そっくりな書法。ショパンのピアニズムはドビュッシーにしか受け継がれなかったと思っていましたが、実はここにもいました、という感じです。まあでもこの曲を書いた5年後にはあさっての方向にイっちゃうけどなwスクリャービンは手が小さかったことで有名ですが、この楽譜を見る限りでは9度は届いたっぽい。開き直って13度とか使ってるのは笑えます。あとこの左手の跳躍はなんとかならんかと思うが、右手のポジションがあまり動かないため、要は左手だけを見てればいいわけ。そこに気付いてしまうと、この曲は取り立てて技術的な難曲というわけではなく、問題はもっぱら演奏解釈をいかにして音に表現するか、あるいはいかにして説得力ある解釈をするか、というところに凝縮されるのです。ショパンエチュードやドビエチュを勉強してきて、俗に難曲といわれるものが怖くなくなってきました。
しかしこの曲、グレムザーの演奏を聴いてなかったらブラームスのラプソディ1番並にドカドカ弾きかねないところでしたw書法が似てるところがあるので。実はラプソディ1番を弾いた時に先生に「ショパンみたいね」と指摘されたんですけど、スクリャービンのこの曲はショパンみたいに弾いても良さそうですね。