箱根駅伝の小説を読んだら、ピアノを弾くってどういうことか、すこしわかったような気がしたの巻

タイトルが意味不明で申し訳ないですが、以下に長々と説明します。
三浦しをん著の「風が強く吹いている」という、学生たちが箱根駅伝を目指す小説を読んだのですが、その中で描かれていたことをいろいろ考えていたら、自分にとってピアノを弾くということがどういうことか、という、ここ数年来ずっと考えていた問いに対する回答が見えてきた、ということです。
「風が強く吹いている」はキッカケは忘れましたがDVDを見てすごく感動して、原作も評価が高かったので読んでみました。長い小説なので通勤電車の中で読んでいたんですが、中盤以降はあちこちのシーンで泣きそうになるので、人前で読むのはおすすめできません(同様の感想多し)。自分は最終的に目次だけでもジワッと泣けるようになってしまいました。この小説が箱根駅伝と同じく10章に分かれていることに気付いてしまったので。くそうこんな見え透いた仕掛けにやられるとは(笑)。
自分は最初は王道青春ストーリーに感動していました。しかし、繰り返し読むうちに主人公が「なぜ走るのか?」ということを延々問いつづけていることに気付きました。この小説は少年ジャンプのような努力・友情・勝利の直球ストーリーですが、主人公たちは楽しくて走ってるわけではないんです。「走るの好きか?」と聞かれて「好き」と答えられない。ここがポイント。じゃあ、なんでおまえら走るのよ?という話になっていきます。そこに焦点を当てて読むと、感動的なストーリーとは別に、この小説が「走ること、すなわち生きることとはどういうことか」という普遍的なテーゼを問いかけていることに気付きます。
以下、長くなるうえに、小説の核心部分を書いてしまうので隠しておきます。
箱根駅伝を走る=陸上競技なのでタイムの速い遅いや勝ち負けがあります。じゃあ、速ければ優れてるのか?1等賞以外は存在価値ないのか?努力しても結果が出なければ意味がないのか?・・・そんなはずないでしょ!?という、勝ち負け至上主義に強い疑問を抱いた作者が取り上げた題材が、たまたま箱根駅伝だったようです。
ランナーに「なぜ走るんですか?」登山家に「なぜ山に登るんですか?」演奏家に「なぜ弾くんですか」・・・という質問をするのは愚行と言われていますが、その理由がこの小説に書かれた以下の文章に集約されています。

<俺たちが行きたいのは、箱根じゃない。走ることによってたどりつける、どこかもっと遠く、深く、美しい場所>

これですよ。

ここから音楽の話に移行しますが、内田光子五嶋みどりの演奏からは「なぜ私は演奏をするのか」「わたしはこういう音楽をやりたいから演奏する」という強い自意識がつねに感じられ、私はそこに強く惹かれます。それは、いままで見たことがない、深く美しい世界へ誘う演奏となって、わたしたち聴衆に届きます。
自分がピアノを弾くのも単に楽しいとか好きとかだけではなくて、自分の知らない世界へ行くことができるからではないか、と思うようになりました。だから楽しいし、好きなのだと。
最近、以前ピアノを教えていただいていた浜野先生とメールでやりとりをしています。やはりこういったことを話していて、音楽の本質とはどういうことか、よりいっそう深く考えるようになりました。
音楽の本質は、これが正解とか間違いとか、そういうものはなくて、人によって違うものだと思います。なので、私の考える本質と、ほかの人が考える本質は当然違うし、優劣があるわけでもない。どれも美しく、尊いものだと思います。