蒼き鋼のアルペジオ-ARS NOVA-と日本における人型ロボットアニメについての巻

蒼き鋼のアルペジオ-ARS NOVA-は、感情を有した人型のロボット(メンタルモデル)が、人間と関わる中において経験した、さまざまな葛藤を描いた作品ということができると思います。
ところがこのようなストーリー展開は、手塚治虫が「鉄腕アトム」ですでにやっていることなのです。

出たー!それ手塚がもうやっちゃってるよ症候群!
ロボットが恋するエピソードも、アトムでやっちゃってるから!!
ロボットの悲哀も、アトムと、なによりロビタでやっちゃってるから!!!
兄弟喧嘩や戦争もやっちゃってるから!!!!
どーすんのよこれ!!

それに対するアルペジオのスタッフの回答が、最後の総旗艦命令だと思うのです。
誰かの命令に従うのではなく、自分で考えてみずからの行き先を決めなさい。
これを言わせるための、TVシリーズ+DC+cadenzaです。誰よりも人間くさくなってしまわれたコンゴウ様に、心の底から「めんどうくさい」と言わせしめたラストシーンでした。他人に従うほうがラクですからね。
自分で考えた行き先が、人間との共存になっていそうなエンディングがよかったです。そんな中で、まだ悩んでいるような感じのヒエイが、一番共感できました。自分で考えろっていわれて、そう簡単にハイそうですか、といえるほどヒエイは単純な子ではありません。でもちゃんと「総旗艦日誌」を持っていて、悩みながらも前に進もうとしているんだな、ということが想像できるのもいいです。

手塚流の展開だと、ロボットが自分で考えた結果、地球から去るというパターンになりそうです。人類を超越する能力をもった存在は、人類とは共存できないから、自ら去ることを選択するのです。切ないですね。
もっとも、霧の艦隊が宇宙艦隊に進化して、「我ら霧は新天地を目指す!さらば地球よ!」アシガラ「イエーイ!」ナチ「また悪い予感しかしないわね。ふぅ」
とか、そんな話になったら、それはそれで見てみたい気もしますw

アルペジオに関しては、作劇や演出など、まだ言いたいことがあるので、このシリーズは続く予定です。
今回は、富野由悠季アルペジオの演出したら確実にアトムを意識するだろうな、と思いながら、等身大人型ロボットアニメ観点で書いてみました。アルペジオのスタッフはアトムまでは意識していないかもしれませんけどね。