さらばヤマトを否定するのではなくアンサー作品だった宇宙戦艦ヤマト2202の巻

もしくは、福井晴敏のいい仕事を見させていただいた宇宙戦艦ヤマト2202の巻。ネタバレ全開でいきます。

おそらく福井氏はガンダムイデオンほどにヤマトに思い入れがあるというわけではないのです。なにしろヤマト2202の舞台挨拶でも口を開けばガンダムイデオンですから。でも、それゆえ客観的目線でヤマト2202に対していることが当初より発言の端々から伺えたので、整合性が取れないことはやらないだろうとは思っていました。たしかに序盤は演出がギクシャクしていて緩急も良くなかったのですが、13話もかけて丁寧に波動砲問題を取り扱ってリアリティのある落とし所へ持っていったので、後半も大丈夫だろうとなんとなく思ってました。

さらに、ヤマト2199で謎だったデスラーの行動に対して後追いで理由付けをして、森雪の記憶喪失ネタも改めて焦点を当てて回収しようとするなど、先人に対するリスペクトが半端ないし、ドラマの伏線を丁寧に追っている姿勢が伺えました。

さらにさらに、20話でゴレムというガトランティスに対する決定的な軛(くびき)*1が登場したので、これが発動してガトランティス全滅エンドもしくは桂木サーベラーがズォーダーの精神を浄化させるエンドになるだろうと思っていました。それに22話まで各キャラが全力で生き残る路線を突っ走っていました。
だから、さらばエンドにはならないと思ってたんです。

でも、そうなりませんでした。もっとひどかった。もっとすごかった。
という話を書きます。(以上が前置き)

ヤマト2202には1974年の宇宙戦艦ヤマト第一作と、さらばヤマトの両方に対するアンサーが含まれています。実はこの2つの作品では重要なテーマが置き去りになっていました。

1.第一作の置き土産
第24話「死闘!!神よガミラスのために泣け!!」のラストシーン、いままで何度もこのブログで書いてますが、このエピソードの終わりで波動砲を使ってガミラスを滅亡に追い込んだ古代が「我々は戦わずに愛し合うべきだった」と嘆きます。でも実際にどうすればいいのかは描かれませんし、「イスカンダルに行こう。ほかにどうしようもないから」という、痛みを残す形になります。*2

2.さらばヤマトの置き土産
ラストシーンで星になって結婚しようという古代と雪の前にテレサがあらわれ、「ありがとう、古代さん。私はあなたの中に勇気と愛の姿を見せて頂きました。あなたのお陰で人々は目覚め、より美しい地球と宇宙のために働きだすでしょう」と語り、ヤマトとともに巨大戦艦に特攻します。これでさらばヤマトは終わりですが、本当に人々は目覚めるんでしょうか?美しい地球ってどういうことでしょうか?何も描かれないまま「ヤマトより愛をこめて」が流れて終わります。

このあたりのとても重い命題(というか宿題)に対して、真摯に向き合ったのがヤマト2202だと感じます。

・人は戦わずにわかりあえるのか?

ガンダムでも出てくる「人はわかりあえるのか?」という命題です。リメイクヤマトシリーズ(ヤマト2199、星巡る方舟、2202)では一貫して古代は異星人ともわかりあえるというスタンスを貫いていて、2202においては引き金を引かない古代のキャラクター像につながります。これがお花畑だと揶揄されたりするわけですが、2202の第23話で決定的な場面がやってきます。この場面の描き方がいいのです。みんなわかりあえるよね、とか、わかりあえるはずだ、とか、ララァにはいつでも会いに行けるから、とか、全員死んで転生してハッピーバースデー、といったかりそめの希望を描きませんでした。

ガトランティスは1000年も思考停止していたけど、考えようとしなかっただけだった。自分たちは、自分たちのことを何もわかってないんじゃないか。そして戦わないで済む方法があるというなら、ここで立ち止まってみてはどうだろうか。

こういった現実な落としどころへ着地します。
そもそも人間は別々の魂を持つ異質の存在なのだから、軋轢や争いが生じるのは当然です。愛し合うことはできないとしても、それでも一線を超えずに踏みとどまる勇気を持って、お互いに折り合いをつけられるように努力しよう、ということです。これは福井氏がガンダムUCやNTで描いたニュータイプ観や、違う魂を持つ人間も死ねば1つになってわかりあえるといったイデオンや旧エヴァ的な死生観とは本質的に異なっていて、リアリティと説得力がある着地点だと思います。
こうして第一作に対するアンサーが示されるのですが、残念ながらこの着地点は無残にも瓦解し、やはり人は戦うしかない、しかもどちらかが滅びるまで戦いは終わらないという悲劇的な結末、つまり「さらばヤマト」のルートへと舵を切ります。この痛ましい展開には、とてもヤマトらしさを感じました。

さらば宇宙戦艦ヤマト。その後の地球は、人はどうなるのか?

ヤマト2202第25話のサブタイトルが「さらば宇宙戦艦ヤマト」です。そして26話が最終回、つまり、さらばヤマト後の世界が描かれます。これは見ていただくしかない話です。初見のときは、なんだこりゃ、と面食らいました。でも人々が「より美しい地球と宇宙のため」の選択をしたとしたら、このエンディングになるのも理解できます。実際にはそうならないかもしれないし、ヤマトならではのロマンティックな後日談ではあります。でもその一方で、さらばヤマトでのテレサの言葉は40年の時を経てここに成就したと思って胸がいっぱいになりました。

※余談
真田さんは「古代進は、あなたです」と観客に向かっても言っているのですが、これは古代と同年代以下の若い人でないと響かない言葉ではないかと思いました。30代以降になると「私は芹沢です」という人のほうが多いと思います。実際、自分がツイッターでフォローしているヤマト好きの人たち、特に旧作世代の40代後半~50代の人は芹沢容認派がすごく多いです。大人はしがらみから逃れられないのよね。そんな大人目線だと、ヤマト2202の終わり方はファンタジーに過ぎないのですが、アニメの世界くらい夢を見てもいいと思うんですよ。そういうヤマトファンが見た夢を具現化した最終回だったと思います。第六章まで出番が少なかった森雪がしっかりヒロインの座に戻ってきたのも嬉しかったです。時間断層の決着もつけてくれると思っていましたが、人が自分たちの意思で決着の付け方を選ぶという展開はカタルシスがありました。しかもそのときのBGMが「Great Harmony」です。奇跡は起きるものではなく、ヤマト、大いなる和が奇跡を起こすのです。こりゃ泣けますよね。そして最後は愛を知った人間・ズォーダーのナレーションで終わります*3。最後まで抜かりのない、福井さんのいい仕事でした。
初見のときはこの最終回の流れが納得できなかったのに、2度、3度と見るにしたがって腑に落ちていくのが面白いです。

以上でヤマト2202の感想は終わりです。
でも音楽については、まだまだ書きたことがいっぱいありますし、いろいろ演奏したいと思っています。

*1:人物や動物を束縛する事象や道具のこと

*2:その後のさらばヤマトで描かれた古代の愛は「自分が信じる愛のために、断固として戦う」というものに変質していたので、けっこう批判がありました。別人になっているわけです。

*3:コメンタリーによるとあのズォーダーは若い頃のメンタリティに戻っているとのこと