〜ショパンの新しい波〜ピオトル・パレチニ公開レッスンの巻

行けなくなった人→ピアノの先生→私、という具合にチケットが巡ってきたので浜離宮朝日ホールまで行きました。教えてもらう生徒さんは芸大生とかで、マスタークラスの公開という感じ。私みたいな素人ピアノレスナーが行く意義あるのだろうか激しく疑問でしたが、とても有意義な時間でした。いろいろ書きたいことはあるのですが、印象に残っていることをいくつかまとめます。

  • Op.10-8はエチュードだ。しかし、単なるエチュードには留まらないものを感じる。この曲のどこがエチュードかと言えば、それは右手ということになる。しかし、音楽の中心(=重心。"Gravity"という言葉が出ていました)はあくまでも左手にある。だから、(他人の前で、ピアニストとして)演奏するときには右手のことは忘れて左手の表現に注力しなさい。もちろん家で練習するときには右手のことを考えていいからね(笑)。←このレッスンでは一貫して「聴衆を意識した演奏」というものを語っていました。
  • Op.10-8の中間部は、ピアノではない(ショパンは強弱指示を出していない)にもかかわらず、弱く弾く人が多い。なぜか?中間部は短調なので、色合いの違いをデュナーミクの違いとして表現しているわけだ。そのことをわかって弾くのと、単に慣習として弱く弾いてしまうのでは雲泥の差がある。←楽譜に書かれていないデュナーミクを慣習的に弾いてしまうことに対する警鐘です。音楽表現とデュナーミクは常に密接な関係にあるということですね。
  • Op.10-8主部は上行時に少しクレシェンドするとブリリアントになってよい。
  • バラード4番は変奏曲と見ることもできる。だから、主題のアーティキュレーションは要注意。次の小節の頭にフレーズが食い込んでいる。プロのピアニストでも間違えているけどね(笑)。動機が呼応しながら高まっていく感じをポリフォニックに、Espressivoに表現すること。←"Espressivo Crescendo"という語を多用していました。感情の高まりをデュナーミクに託して表現するということ。
  • 幻想ポロネーズの左手和音の連打は1つ1つのをはっきり鳴らさない方がよい(うるさいから)。ハーモニーの流れを作り出すだけでよい。コラールのつながりを意識する。レガートな部分はものすごくレガートに弾いて。和声の移り変わり、転調を明示的に弾く。

生徒のかわりにパレチニ氏が弾く場面もあったのですが、圧倒的なピアノの鳴りっぷりに感嘆しました。繊細な音色から怒涛のフォルテシモまで、まったく破綻せずに鳴らす様は圧巻です。