エヴァンゲリオン解説最終回:残酷な天使のテーゼ、そして希望

さて、エヴァ解説もいよいよ最終回です。語り残したことも多いのですが、最後にテーマ面からこの作品の方向性を決定付けた主題歌を見たいと思います。タイトルの「残酷」は天使にもテーゼにもかかり、「残酷な天使による、残酷なテーゼ」という意味になります。

残酷な天使
  • 狭義には、エヴァ初号機と一体化した碇ユイのことです。ユイの残酷性は*1、第9回で述べたとおりです。直接的にズカズカものをいうミサトやアスカも一見すると残酷な人たちですが、彼女たちはそうすることで自己主張しているわけで、シンジ君とは共依存に近い関係にあります。*2
  • 広義には自分自身、自分を客観的に見つめるもう一人の自分を意味します。*3
残酷なテーゼ
  • 狭義には「母体回帰か、乳ばなれか。」
  • 広義には「闘わずに逃げてなんとなく済ませるか、たとえ傷ついてでも闘って乗り越えていくか。」
  • 「何もしなくて死ぬ、傷ついても死ぬ、どうせ死ぬならなにもしたくない」という負のスパイラルに落ちる人がいます*4。そうでなくて、「いずれ死ぬのはわかった。それならば、せめて今をせいいっぱい生きてやろう」という考え方をしたいものです。*5
  • 当たり前の話ですが、誰もが後者を選んで大人になっていきます。つまり最初から選択の余地のない命題にもかかわらず、わざわざ選ばせています。しかも痛々しいほどの状況の中で。これが残酷でなくて何なのかと。
希望

ネガティブな心情描写の多い本作ですが、映画版第26話と主題歌においては、ひとすじの光明が描かれます。それを確認して、この解説シリーズを終わりにします。

  • 「希望なのよ。人は互いに分かり合えるかもしれない、ということの。」
  • 「好きだ、という言葉とともにね。」
  • 「でもぼくはもう一度会いたいと思った。その時の気持ちは、本当だと思うから。」
  • 「だけどいつか気づくでしょう。あなたのその背中には、遥か未来を目指すための羽があるということを。」

*1:残虐ではない

*2:いわゆる「キズをなめあう道化芝居〜♪」

*3:自分に対して残酷になれないうちは子供です。

*4:シンジ君は基本的にこっち。

*5:「地球も太陽もいずれ死ぬ→ならばせめて自分は永遠の生命を得よう」というユイの超人的論理とも対比しましょう。