高田馬場管弦楽団 第73回定期演奏会の巻

新宿文化センター大ホールにて。

指揮をした川瀬賢太郎さんはまだ24歳と若いのに、3曲の質の違いをよく理解して表現していたと思います。
スペインを弾いたあと、わざわざ対抗型の配置に変えてのモーツァルトアーノンクールに慣れてしまっている私には総じて微妙でしたが、きちんとモーツァルトしてました。ただ、場面によって表現の密度に差ができるのが気になりました。ものすごく詰めてあるところと、非常にそっけないところがある。どうかするとアーティキュレーションが甘くフレージングの柔軟性に乏しくなります。展開部で対位法を使った場面なんかで響きが濁ってババカンらしくないなと。もっとアインザッツを厳しくすれば見通しがよくなるのですが。一方、メヌエットのように自然とはっきりしたフレージングが要求される楽章だと、きちんとまとめられるのです。それとフィナーレは速くて難しいのですが、よく崩れなかったなと思いました。で、なんでこんなにクリティカルに聞いてるかというと、クリティカルに聞かせるような演奏だったからです。ものすごく、緻密にやろうとしてるんですね。なので、こっちも緻密に聞いてしまいます。ちなみに2年前のハフナーに比べると、はるかにまとまりがありました。ハフナーより難しそうなのに、よくやったと思います。ともかくちゃんとモーツァルトの音楽になっているんだもの。素晴らしい。
オルガン交響曲は推移の聞かせ方がイマイチ堅いとかチョコチョコ問題はあるものの、神様が降臨したような雰囲気になった緩徐楽章以降はクリティカルに聞く余裕もない、ちょっと奇跡的な名演でした。数年前に新日本フィルで散漫な演奏を聞いて腹が立った記憶があり、あまりよい印象がなかったのですが、やはり名曲。スケルツォと終楽章はもう少しテンポを落として掘り下げてもいいように思うのです*1。あんまり押せ押せムードでいくと「これだからサン=サーンスは表面的な音楽作りで軽薄なんだよね」とか言われちゃう。でもまあ24歳だし、感動したからいいやってことで。盛大にブラボー叫んでた人が大勢いましたけど、私はちょっとウルリって感じでした(照)。サウンド的なカッコよさを追求していたサン=サーンスがいい年になって人生を振り返って得た、「私の音楽はいつもオルガンとともにあった。オルガンの音色はいつも神とともにあった。そしてそれに満足している。」という、敬虔で、なおかつ肯定的な感情。これをしっかりと演奏表現していたことにとても感動しました。あと、「祈り」とか「愛(キリスト教的な)」といった想念も表現されていて、それも深い感動につながっていたと思います。
周りの聴衆の人たちも言っていたのですが、前回の第九がすごくよかったことが信頼感につながっているということと、オルガン交響曲のような有名だけどなかなか演奏機会のない曲を聞けるプログラミングは魅力です。

*1:主題変容を聞かせるにはきちんとしたアーティキュレーションと、余裕が必要です。