プログラム
感想
前半はチャイコの軽〜いバレエ曲数曲で、子供のころバレエを習っていたというオヤジがクルクル踊りながら指揮してました(笑)。このオケは初体験だったのですが、チェロから強烈にロシア風の音色がするのでなんじゃこりゃ?と思って調べてみたら、案の定チェロのトップがロシア系。花のワルツの中間部で短調になるところのチェロ合奏とか、「いよっ!待ってました〜!!」みたいな感じ。チェロと比較するとヴァイオリンはビブラートが控えめで、古楽器かよ、みたいな響きになる箇所もあってやや違和感です。そして指揮者は終始楽しそうで陽気にニコニコ踊っていたのですが、その理由は後半明らかになるのです。
後半は、これまた初めて生演奏を聴く五嶋みどりさん。オケの序奏が流れ、おもむろに(本当に「おもむろに」という感じで)ヴァイオリンソロが入ります。
なにこれ?
年老いたチャイコフスキーがぐったりと椅子に座っていて、ゆっくりを顔を上げ、「さて、五嶋みどり君。私は何を話せばいいのかね?」とでも言っているよう。怖い。怖すぎる。あとは延々、最初から最後までチャイコフスキーと五嶋みどりの対話です。(正確には、五嶋みどりの中で彼女自身が召還したチャイコフスキーとの対話なので、五嶋の自問自答ともいえる。)
チャイコフスキーの問いかけ
- なるほど、いまはもう21世紀か。私も死んでからずいぶん経ったわけだ。なのにみなさんはこうして私の曲を聴いてくれる。嬉しいことだ。
- しかし、この世界も人も、私が生きていたころとはまるで変わってしまった。
- それが悲しいことなのか、喜ばしいことなのか、私にはわからない。
- だからあなたがたには、わかるはずもないのだ。私の絶望と、欲望と、希望がどんなものだったのか。
- そもそも19世紀の曲を、今の時代に演奏する意義なんてどこにあるんだね?
- そして、五嶋くん、君はなんのためにそこに存在しているんだね?
五嶋みどりの言い分
- この曲をいま演奏する意義?わからない。
- 私の存在意義?わからない。
- なにも、わからない。(ここまで第一楽章)
- わからない。
- でも、今の時代はとても悲しい。
- 私も悲しさでいっぱいです。
- いつも孤独で、周りから切り離されています。(みどりのATフィールド全開)
- でも私だけじゃない。みんな孤独です!(あらゆる聴衆のATフィールド全開。ここまで第二楽章)
- だからといって、内側にこもってウジウジ悩んでられない!(みどり覚醒。ここから第三楽章)
- 悲しんでいたっておなかはすくし、腹が減ればごはんを食べるしかない!
- でも世界にはおなかいっぱい食べられない人の方が多い!
- どうなってんのよ!この理不尽な世界は・・・。
- こんな世界で人生の何をわかれというのか。
- こんな世界で音楽の何を語れというのか
- なにもない。なにもわからない。きっと永遠にわからない。
- でも、今日ここであなたと話せたことは意義があったと思う。
チャイコフスキーの返答
- ふふふ、お嬢さんは強いな。また話をしよう。
あと演奏上のこととして、問いかけの表現が非常にうまいのです。第一主題関係はすべて問いかけとして弾いていて、それに対する応答が微妙に変化していきます。特に第一楽章のカデンツァは、普通は技巧炸裂になると思うんですが、どんどん弱音になって音楽が内側へ内側へと収縮していくんですね。「わからない・・・わからない・・・」と泣いているようでゾッとしました(チャイコンのカデンツァでよ?)。そして終楽章で第一楽章の主題が回想されるところがあるんですが、あれがものすごい弱音で怖かった。普通は肯定的に回想すると思うんですが、より一層深い問いかけになっていて、直後のヴァイオリンソロで悲鳴のように「わからない!」と絶叫します。こわいよ〜。
結局結論が出ないまま演奏は終わるんですが、他のあらゆるヴァイオリニストがゴージャスに、ヴィルトゥオジティ満載で弾くこの曲で、こんな個性的で深い解釈を聞かせるなんて、まったくありえないことだと思います。演奏の中で明確な答えを出さないことで、いろいろなことを想像させる余地を残しています。すごいです。
五嶋みどりの回答(アンコールにて)
- 人生に必要なもの、それは、愛です。音楽への愛、ヒトへの愛。愛が必要です。(アンチATフィールド全開。聴衆は一人残らず液状化。)
チャイコンはびっくりするほど暗い心の内を吐露した演奏で、ものすごく驚くとともに困ったなあと思っていたのですが、アンコールのショーソンで「いや、愛だろ、愛!」と肯定的に終わったのが救いでした。それにしても、五嶋みどりはすごいね。レベルが違いますね。いまステージに立つことの意味、意義を突き詰めて問いかけてました。おそらく内面的な苦悩がすごいんだろうけど、ひとつずつ解決していこうとする姿勢というか、精神的な強さが半端ない。ここまで強烈な自我の放出がある演奏家は内田光子くらいしか匹敵する人がいないと思います。内田の音楽は最近外側に開いてきていてまた魅力的なのですが、五嶋の音楽は基本的には強烈な自意識(ATフィールド)との対話が主体で、禅問答を見ているような雰囲気です。その対話は深い思索に満ち満ちていて、聴いているわれわれにも真摯な問題意識を思い起こさせる演奏だと思いました。