ポリーニのショパンエチュード@1960の巻


結論からいうと、DGの1972年録音盤よりずっとできがいいです。これならその後に出てきたロルティ盤なんかとも十分に張り合えるレベル。ショパンって、やっぱりこういうふうに弾くものですよ。
ここでひとこと言ってもいいかしら?1960年代のポリーニさんに何があったかは知らないけれど、このスタイルを捨てるのはそれなりに思うところがあったに違いないとしても、ショパン弾きとしては残念な方向に変わったとしかいいようがありません。
燦然とした技巧は当然のことながら、ウナコルダを上手に使って曇り空のような色合いを出して、青年ショパンのメランコリー(憂鬱さ)を感傷的になりすぎない程度に、しかし十分に掘り下げて表現しきってます。タッチの使い分けも見事で、分厚いタッチで朗々と歌わせる場面があったり、レジェーロな軽いタッチを聞かせる曲があり。ペダルも必要最小限に留めていて、節度を保っています。ほとんどノンペダルに近いような状態で始まる革命なんて始めて聴きました。離鍵もしっかりコントロールされてます。内声や左手で歌われる旋律の出し具合のバランスもよく、これこそがショパンエチュードの見本といいたくなるような素晴らしい出来栄えです。あと、とても重要なこととして、Op.10-8をきちんとフォルティシモで締めくくってます。ここを慣習的にメゾピアノで弾いてしまう人が多いのですが、このときのポリーニはそれをしません。それと、とにかく歌い方がうまい。うますぎる。離鍵が適切なのでアーティキュレーションが明瞭で、息の長い旋律も呼吸困難にならず先へ先へと続きます。付点音符の微妙な跳ね方の制御もすごいし、いちいち感心します。この演奏はとても18歳の芸当とは思えません。これを聴くと、ショパコンでルービンシュタインが「ここにいるどの審査員よりもうまい」と脱帽した理由もわかります。近年の彼がいつも無視しているエオリアン・ハープの内声の歌が聞こえてきたときの私の驚きと感動をどう伝えていいのかわかりません。なぜポリーニはこの繊細で美しい音楽性を捨て去ってしまったのでしょうか。
そういうことで、いろいろ不満のあったDG盤のことは、すっぱり忘れることにしました。みなさんも、ぜひ聴いてください。