エル=バシャがFORLANEレーベルで録音した1度目のベートーヴェン ピアノソナタ全集が届いたのでレビューです。こちらはスタインウェイでの演奏になります(2度目はベヒシュタイン)
このCD BOX、だいぶ前に届いていたのです。しかし当初は新旧の差異がわからず、レビューを控えておりました。なにしろ新旧ともに全曲完璧に弾ききっているので「わー、すごい」という感想にしかならないんですよ(笑)。な
それで両方の全集を通しで何度も聴いたり、1つの楽章を新旧で比較するようなことをやって、旧録音はこうだ、一方で新録音はこうだ、というそれぞれの全集の特徴をつかもうとしました。その結果、間の取り方や時間の使い方が変わった曲がある、ということがわかりました。またデュナーミク(強弱表現)のうち、2度目の録音はフォルティッシモが抑制されていて、熱苦しいアクセントが付いた表現が減っています。ただこれはピアノの違いも影響していると思います。大きな違いがあるのはピアノソナタ1番です。この曲は1度目の録音ですら全体的にテンポが遅めでかなりユニークな演奏です。しかし2度目はさらに遅くなる上に溜めを強調する仕草を多用しますので、これが本当にエル=バシャか?と疑いたくなりました。しかしそういう曲はわずかでして、1番以外は新旧を交互に聞き比べないと明確な差異がわかりません。お曲目には差異があり、1度目の全集にはソナタ以外に幻想曲op.77が入っていますが、2度目は入っておらずソナタだけです。
ということで、後は1度目の録音に関してのレビューです。
エル=バシャらしいディテールの完成度の高さが光る録音です。まず付点音符が正確です。熱情の5:1の付点も律儀に5:1です。音価(音符の長さ)を正確に、明確に表現するために全曲にわたってテンポが抑えられているのも新旧ともに変わりません。ここにエル=バシャの主張が明確に現れています。速いアルベルティ・バスやトレモロなど、他のピアニストが和声の流れとして表現しがちなフレーズも1つ1つの音を明確に分離するように弾きつつ、特定の音符をわずかに強調して対旋律など対位法的な書法を表現します。無窮動なフレーズに対してさりげなく、しかし明確な意味を与えるテクニックがめちゃくちゃうまいです。
op.49やテンペスト、かっこうなど、演奏難度が低い楽曲はどうしても音楽的に軽くなる傾向がありますが、他の曲と同じ重みになるようにしっかりした演奏表現を盛り込んでいます。ショパンの葬送ソナタのもとになった12番は、ショパンの葬送ソナタ以上に楽章の関連性が希薄で表現が難しい曲なのに、精緻な強弱表現を用いることでそれぞれの楽章をしっかりと掘り下げることで、心地よい緊張感を維持しつつ4つの楽章をつなげることに成功しています。重苦しくなりがちな第3楽章の葬送行進曲も沈痛という表現がぴったりの内容にまとめているため、第4楽章に入った瞬間にふっと音楽が浮上します。こういった楽章単位での重さ・軽さの表現も絶妙なバランスです。
技術的に鮮やかだなと感心したのがワルトシュタインのオクターブグリッサンドとハンマーグラグーア第4楽章のフーガです。ハンマークラヴィーアはいろんなピアニストの演奏を聴きましたけど、エル=バシャが最高峰だと思います。特に1度目の録音はみずみずしくて良い(FORLANE時代のエル=バシャの特徴でもある)。これはぜひ聴いていただきたいです。なんとYouTubeで聞けちゃう。
ワルトシュタイン第3楽章:グリッサンドは8分30秒あたり。
ハンマークラヴィーア第4楽章:フーガは2分すぎから
※エル=バシャのネタはまだあるので、しばらく続きます(笑)