ちゃんと終わるのか?と言われていたヤマトよ永遠に REBEL3199の最終章である第七章を見てきました。感情的にはちゃんと終わったという思いがすごくある内容でした。オリジナルのヤマトよ永遠にの翻案としてはこれ以上ないストーリーだったと思いますし、ヤマト3の要素もうまく取り込んでいい塩梅のバランスにまとめました。
しかしその一方で、状況的にはまるで終わってないんです。あのドタバタの後始末を考えたら大変なので考えてはいけません!という結末になっています。そこはオリジナルのヤマトよ永遠にと同様で、「愛よその日まで」のパワーで押し切ってしまう力技の終結でした。でも個人的にはもうこれでリメイクヤマトシリーズは終わりでも良いかなと思うくらい満足感がありました。問題山積な終わり方ではあるけれども、それも悪くないと思いました。
感情的にちゃんと終わらせることができるのは、オリジナルで唐突な印象を与えたサーシャがデザリアムに残るシークエンスをしっかり処理して「大切なのはどう生きたかということ」というセリフに落とし込んだことが大きかったです。これは言い換えれば主体性ということだと感じました。
劇中では人間が抱える主体性の曖昧さをずっと描かれてきました。地球に残ったパルチザンは主体的に動いていたように見えますが、ちゃんと考えていたのは森雪と星名だけではないかと思います。ヤマトのキャラも第六章でコロッとサーシャに扇動されます。その一方で南部の父や一部の軍関係者はさすがで、初期はデザリアムと協調路線を取る一方で全面的に相手を信用せず常に緊張感を持って情報をアップデートしながらデザリアムに反抗する決断を下します。REBEL3199というタイトルを体現していたのはこの人たちです。なおデザリアム側ではもともとアルフォンはある程度の主体性を持った異質な存在として描かれますし、アルフォンの影響を受けたランベルも「ちゃんと考えて行動する」あたりはうまいと思いました。ともかく、主体性とはこういうことだと思った次第です。いや~福井さんの脚本すごいわ。
そしてみなさんご存知のように、古代進に主体性がありません。ヤマト2199から始まったリメイクヤマトシリーズは群像劇的な展開を取ることが多く、古代も受動的な立場に回るようになりました。2202では最初の反乱こそ主導するものの、波動砲問題で揺れまくって必要なときに決断できない欠陥人間として描かれます。2205や3199でスターシャやサーシャを家族と見做す描写がありましたが、あれはガミラス戦争で家族を失った人間としては当然の考え方です。当然のことを言っただけなのに、なんだかすごい名セリフに聞こえてしまうのは、普段の古代が森雪との結婚を先延ばしにするような朴念仁だからです。第七章ではそんな古代が糾弾されるシーンがあったので、胸がすく思いをしましたw
戦闘シーンはどうでもいいんですけど、実は半分以上が戦闘シーンだと思います。しかもサービス過剰で、あらゆるメカに見せ場が用意されます。ヤマト2202でアンドロメダが復権したようにアリゾナやA-JAXも大活躍です。
劇伴もサービス過剰でした。ありとあらゆる楽曲を総動員しつつ新曲も入ってきます。しかも絶妙に旧作をオマージュした劇伴の使い方をします。この旧作というのはオリジナルのヤマトよ永遠にだけでなく、ヤマト第一作だったりさらばヤマトのオマージュすらあるという具合です。なので最後のクレジットのバックに流れるのは絶対に新銀河誕生であってほしいと思っていながら見てたところ、なんとボーカル曲として蘇らせてくれました。八神純子さんが歌うのも嬉しいサプライズでした。そんなわけで劇伴オタクの自分は音楽にも泣かされた第七章になりました。
まとまりがないですが、とりあえず以上です。