ウィーンフィルとムーティのチャイコフスキーの巻

NHKの「芸術劇場」で放映されたものを視聴しました。予想以上に丁寧で繊細なニュアンスに彩られた演奏でとても感心したのですが、とにかくロシアの音楽になっていなくて違和感が強かったです。これは以前、ゲルギエフ指揮のラフマニノフチャイコフスキーを生で聴いたとき*1にも感じたのですが、ゴリッとしたニュアンスの欲しいフレーズにおいてもしなやかで透明感のある音色を奏でてしまう弦は全体的に上滑りしているよう聞こえるし、やはり品のある金管は軟弱にしか思えず、木管は女々しい表現に…という具合で、ウィーンフィルの特性がひたすらマイナス方向に作用してしまうように感じました。非常に厳しい言い方をすると、この人たちは本気で真実を伝えるつもりがあるのかな?という疑問を抱きました。いえ、この人たちなりの真実は伝えていると思いますが、それはウィーンから見たロシアでしかないように思います。そこを嘆いても仕方ないことはわかるのですけど、それにしても、美しすぎだったと思います。
チャイコフスキー絶対音楽はロシアの作曲家としては異例なほど西欧よりというか、ベートーヴェンブラームスの亜流みたいなところがあると思うので、ドイツ流解釈で演奏してもかなり感動的なものになると思います*2ウィーンフィルの人たちも、フレージングの取り方や呼吸の取り方はベートーヴェンと同じようなタイミングでやっていて、それ自体は悪くないのですが、ちょっと速い&浅いものだからパッセージがスイスイ流れてしまい、溜めや重みが今ひとつ出ないのかなと思いました。私は弦楽器の演奏技術はよくわからないのですが、決定的なのはおそらく弦に対する弓の当て方(圧力?)、それも音を出し始める瞬間の状態で、これがサンクトペテルブルク・フィルとのどうにもならない音色の違いになっているように思います。サンクトペテルブルク・フィルの音色って、基本的には美しくないんです。ゲンコツで度突かれるようなニュアンスのコントラバスの重低音とか、もう考えられないほど野卑野蛮な世界です。でもそれがロシアの音色なんですね。
前説でムーティが「ウィーンフィルは現代のオーケストラとしては貴重なほど、自身の個性を大切にしている」ということを語っていて、なるほどその通りだと思いましたが、だったらその個性にあった選曲をすべきだと思います。借り物のような演奏を聞かせられるのは居心地が悪いです。

*1:例の2004年11月のサントリーホールブロンフマン大爆発のピアノ協奏曲第3番のとき。

*2:エッシェンバッハ指揮フィラデルフィア管がこの方向性。