心が叫びたがってるんだ。 がダメだったの巻

NHKで放映されたので見ましたが、とてもじゃないけどまともなストーリープロットだとは思えなかったので、以下、問題点を列挙します。

1.なにを表現したいのかよくわからない
細谷佳正内山昂輝がLoveなんだろうなとは思いましたが、それ以外がとても曖昧で焦点が定まっていませんでした。

2.共感を拒絶するわがままで身勝手な主人公像
ここまでヘイトを集める主人公も珍しいと思うほどのひどい主人公でございます。

3.驚愕するレベルのご都合主義
この舞台になった学校は天才が揃っているのか?と思うほどミュージカル制作がスムーズに進みます。フィクションではよくある話ではありますけど、野球部員がギクシャクする描写にかけた熱意の半分も感じられないほどあっさりと完成していきますので、ミュージカル上演に向かうカタルシスがありません。まあこれは「そこがカタルシスじゃないし」ということかもしれません。

4.母親の描写から逃げた
主人公の母親はステレオタイプ毒親として描かれているうえに、尺が割かれないためキャラ造形が極めて薄っぺらく表現されました。主人公があんな性格になった原因は母親からかけられた呪いの言葉なのだから、母親もきちんと掘り下げる必要があると思うのですが。主人公の同級生たちがかなり突っ込んで描かれるのと比べると、ひどくアンバランスです。この部分に関して、そういうもんだと片付けてしまってはいけないと思うのです。おそらく岡田麿里はこの母親を描くことを放棄したと思います。面倒なキャラだから。だから最後のシークエンスでこの母親が涙を流しても、ほとんど説得力がりません。説得力を持たせるだけの描写がなされていなかったのだから当然ですよ。
また、この映画のカタルシスは成瀬が呪いから開放される場面だと思うのですが、そのカタルシスを最大限に演出するには呪いをかけた魔女である母親との和解が不可欠だと思うんですね。これからも逃げました。やっぱり母親を描くのが面倒だから?勘弁してほしい。この部分が解決されないで終わるので、モヤモヤした気持ちが晴れません。

5.社会の描写から逃げた
これはセカイ系という便利な言葉を使いたいです。高校生の基本生活は学校と家の往復なのでセカイ系的になってしまうのは仕方がない面もありますが、それにしても世界観に広がりがなさすぎでした。ミュージカルは開いた世界を描ける場面になったと思うんですが、それを描く能力がなかったのでしょうか。それともやる気がなかったのか。

見終わったあとの感想が「聲の形ってすごい作品だったんだな」でした。似たようなテーマを扱いつつ、言いたいことを2時間で描ききったのはすごいです。セカイ系よりも狭い世界に閉じこもっていた主人公が開放されるシーンには圧倒的なカタルシスがありましし、難しい描写から絶対に逃げないという強い意思が画面から伝わってきました。こういう力のある本物のアニメーション映画が増えてほしいなと思います。