ラフマニノフについていろいろ考えるの巻

ラフマニノフに関して、いろいろ考えていたことを書いてみます。
まず、ラフマニノフチャイコフスキーから強い影響を受けているという話題について。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のフィナーレと、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のフィナーレが同じ構成ということはわかりますが、ピアノ独奏曲に関する限り、それほど明確な類似性は認められません。むしろショパンシューマンブラームスの影響が見られます。コンセプトではブラームス、構成面ではショパン、フレーズ展開ではシューマンと、先人のオイシイところを厳選してます。さすがの美意識です(笑)。まあラフマニノフはピアニストとしても超一流のソングライター兼プレイヤーでしたから、この辺がチャイコフスキーとの決定的な違いになりますね。あと管弦楽法とか似てるらしいのですが、よくわかんないので省略で(汗)。ともあれ、スクリャービンショパンの作風を模倣することから創作活動を始めたあたりと比較すると、ラフマニノフは初期からオリジナリティ満載だと思います。
私は曲の形式や構成に興味があるのでどうしてもそっちに目が向くのですが、ラフマニノフは形式の扱いがとても柔軟(悪く言えば適当)なところがあり、面白いと思います。ピアノ協奏曲第3番の第一楽章などは形式的にはムチャクチャです。提示−展開−再現という流れはできていますので、音楽学者は「自由なソナタ形式」などと呼んでいますが、構成を把握するために楽譜を引っ張り出して確認する必要があります。古典的な協奏曲では「主題提示−展開部−再現部−カデンツァ−コーダ」という流れになりますが、この曲では展開部の後半がカデンツァになっており、そこからの第二主題が呼び起こされるのです。これは一見するとショパン的なソナタ形式(第一主題を省略する再現部)のようですが、この第二主題が経過的な扱いになっていて、その後キチンと第一主題が再現するという意地悪な構成になっています。《第二主題から再現したと思ったらそうじゃなくて、本当の再現部はその次だった》という作り方ですから、聴く側は混乱しやすいといえます。
協奏曲というのは割と保守的なジャンルで、有名なグリーグのピアノ協奏曲(1868年)やチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(1875年)、ブラームスのピアノ協奏曲第2番(1881年)に至るまできっちり形式に則っているのが基本です。リストが1楽章形式のピアノソナタを書いたような、形式を曖昧にする方向性は協奏曲にはほとんど見られません。そんな中で、ラフマニノフの協奏曲はソナタ形式という枠をぎりぎりまで拡大している点で面白いなと思いました。ラフマニノフはピアノ協奏曲第2番の第一楽章でも展開部から直結で第一主題がalla marcia(マーチ風)で再現し、その後の第二主題は思い切り短縮しています(ほとんどカットに近い)。このあたりの作曲技法を見ていくと、形式を厳格に適用しようという思考は最初から持っていないと思われます。こういったスタンスは「無調だけれども形式は古典的で厳格」という新ウィーン楽派あたりとは対極ということもできます。実際ラフマニノフ新ウィーン楽派が大嫌いだったようで、彼らを皮肉った曲まで作っているのです(笑)。