アラベスクはアラビア風の模様のことなのか?の巻

徒然なるままにというか、気が向いたときに、適当に音楽美学を勉強しています。

そんなわけで、アラベスク

ピアノを習っていた人は、ブルグミュラーとかドビュッシーとか、ちょっと詳しい人はシューマンの曲を思い浮かべると思います。バレエ好き、少女漫画好きな人は山岸凉子先生の作品を思い出すでしょう。そして、みんなアラベスクってどういう意味なのだろうと、疑問に感じるのではないでしょうか。

楽曲解説や辞書には「アラビア風の模様。唐草模様」と書かれていていますが、それが音楽と何の関係があるのか、いまひとつピンときません。ということは、解説や辞書が間違っていたり、説明不足の可能性があるのではないか?と疑い始め、この数年間かけてアラベスクについて勉強してきました。

その結果、アラベスクはアラビア風という意味にとどまらず、芸術における美の概念であるということがわかりました。本エントリーはその報告(中間報告)です。

アラベスクとは。
もともとは辞書のごとくアラビア様式の模様のことなのですが、転じて「人為的に統制された、混沌や混乱や不自然さを用いた美の表現」という意味を示すようになります。これがさまざまな派生を生んだと考えられます。たとえば、下記のようなものです。

  • 文学では、特にロマン派文学において混沌が重要な要素になりますが、でたらめではいけないということで、アラベスク理論つまり統制された混沌が重視されました。
  • 音楽では、たとえばシューマンピアノ曲アラベスク」は、混沌より統制が重視され、文学的要素も希薄でそれゆえ習作感があります。しかし「クライスレリアーナ」になると統制された混沌が見事に表現されます。
  • 「グロテスク」と同義なものをアラベスクと呼ぶことも、しばしばあるようです。グロテスクとは、古代ローマを起源とする異様な人物や動植物等に曲線模様をあしらった美術様式で、曲線の使い方が上記のアラビア模様と似ているので、区別せずに使われていたようです。
  • さらに派生して文学や演劇における共感と嫌悪感の双方を抱かせるような人物はグロテスクであると考えられていて、これもまたアラベスクと混同されます。「ああ無情」のジャン・バルジャンなどが典型例でしょう。
  • クラシックバレエにおいて、片脚で立ち、もう一方の足を上げる有名な姿勢も、アラベスクと呼ばれます。たいていはトウ(つま先)で立ちます。姿勢は完全に統制されていますが、自然ではありえない姿勢です。不自然なものを完璧に表現する、それが美である、という考え方ではないかと思います。

自分もまだまだ勉強中なので、勘違いや行き届かないことがあると思いますが、とりあえず以上といたします。