映画「空母いぶき」感想の巻(ネタバレあり)

「空母いぶき」を見てきました。自分はの原作漫画にはやや批判的なスタンスです。自衛隊がチート的に強く、中国が一方的にやられすぎです。ただ、そのまま映画にしたら連戦連勝でカタルシスがあるエンタメにはなると思っていましたし、おそらく原作ファンはそれを望むと思いました。でも自分はそういう映画にはしてほしくありませんでした。

<視聴前の私>
脚本・伊藤和典という時点でそれほどひどいことにはならないのでは?という淡い期待がありつつも、製作委員会に負けるのではなかろうかという不安。
オリキャラ(特に本田翼)の絡みがどうなるか不安。まさか恋愛要素とか絡めないだろうな?ネットニュース社も、変なまとめサイトみたいなものじゃないよね?
仮想敵国という設定に関しても大いに不安がある。
予告編の作りがひどい。理解力がない人を想定した作りで、観客をバカにしすぎにもほどがある。そんなところまでハリウッドの真似する必要ないのに。
その予告編のテンポが悪く、本編もこの調子で2時間超だったら絶対にキツい。
バトル映画のお約束で戦闘シーン3回になったら2時間超は絶対に持て余す。
西島と佐々木以下、40代以上の俳優は大丈夫だろうが、それ以下の若手中堅どころは市原隼人以外は大丈夫かしら。

<視聴後の私>
杞憂だった。
騒動の始末の付け方がお花畑だったのは驚いたけど、原作よりずっと好きかも。

 

一番心配だったのが尺が長いので展開がダレるんじゃないかというところでしたが、エヴァ:破みたいに次々と敵が仕掛けてくるので緊張に次ぐ緊張でダレる暇がありません。2時間超があっという間に過ぎました。

あと原作で一番苦手な自衛隊がチート的に強いところを修正していたのがよかったです。実質的に勝利した戦闘でも人的損害が出たから大喜びしない、という表現はシン・ゴジラでも見られたものですが、この映画でもそれが引用されています。

仮想敵国はうまいことを考えたと思いました。
要するにガンダムのジオン共和国か宇宙戦艦ヤマトガミラスと同じで、よくわからない敵がいて、あちらも人間でそれなりの大義名分を持って戦いを仕掛けてくる、という図式です。建国3年で軍隊を整えられるのは非常識だとか、いや当然その前から軍備を整えているだろうとか、兵器を調達するルートを確立しているはずだとか、いろいろ想像の余地が働くのもいいです。これを中国にしてしまうと、現実の中国国家と整合性を取るためにさまざまな制約が生じます(原作が苦労している部分です)。
この仮想敵国設定のおかげで敵側を完全にフィクション化することができました。また敵側の事情を描かず、日本側の視点のみで一方的にストーリーを構築することができました。ここが重要で、原作は国対国、軍隊対軍隊を双方の視点から描くことでドラマを作っているのですが、映画では最初からそういうドラマを描かないようにして、ストーリーの軸をシンプルにすることに成功しているということです。
原作という重力に魂を引かれた人が、この部分で拒絶反応を起こして感情的に映画を否定しているように見受けられますが、非常に残念な話だと思います

本田翼の役どころに関しては、賛辞を惜しみません。これは見ていただければわかると思います。

政府の人や事務方の描き方は笑えるくらいシン・ゴジラをトレースしていて、中村育二なんか相変わらず総理に詰め寄る役なのでパロディ的にも楽しめると思います(いつ想定外だって言い出すか期待してしまった)。
外交がうまくいく(うまくいきすぎ)の結果、最終局面で逆転する展開もシン・ゴジラと同じですが、この映画はシン・ゴジラと違ってまるでカタルシスがないです。始末の付け方があっけないので拍子抜けします。でもそこがいい。そしてその後のエピローグで騒動の顛末をそれぞれのキャラクターが総括していくシーンが白眉です。ちょっと綺麗に描きすぎという気もしますが、フィクションですし気持ち良いエンディングにするにはこのくらいでもいいと感じました。

何度もシン・ゴジラの名前を出しましたが、原作やシン・ゴジラとの違いは、徹底的に自衛隊の存在意義を問うている点だと思います。さまざまな登場人物が、それぞれの立場で自衛隊の存在意義や、運用にあたっての譲れない方針(ポリシー)を考えている様子が何度も繰り返し描かれます。みんなの結論はただ一つ「国民の平穏な生活を守るため」なのですが、そこに至るのにもいろいろな考え方があり、実際になにをどこまでやるかという解釈も違うのだ、という多様性の表現が心を打ちます。

小ネタとしては、空自と海自の差異の表現が良かったと思います。空自はほぼヤマト2202の航空隊でしたが、出番をひっぱりまくります。最初から命を捨てているような市原隼人の険しい表情が印象的。あと柿沼くんと関西弁のおっちゃんが真のヒロイン。ダブルヒロインですわ。

ショパンのポロネーズを弾いてみるの巻

思い立って弾いてみました。

まず英雄。
ほぼ忘れているので譜読みからやり直しという感じながら、曲の流れは覚えているのでそこそこ弾けました。以前は10度アルペジョをきちんと弾けていなかったという反省があり、ものすごくイメージトレーニングを積んでいたので、イメージ通りに弾けるようになっていました。ピアノに向かわなくても練習はできます(笑)
あとミレドシのパートの右手が以前よりずっとうまく弾けるようになっていて驚いた。最近あまり真面目に基礎練習していないんですけど、指の独立性は以前より良好なようです。

次に4番。
4番はまともに弾いたことがないのですが譜読みは難しくはありません。しかし音楽的に弾くのは地味に難しい曲。どうしても低音の響きが濁ってしまいます。これはペダルの練習が必要ですね。

最後に5番。
苦手な嬰ヘ短調で弾ける気がしなかったんですけどそこそこ弾けてしまいました。手に馴染めばいけそうな予感がしてたので、逆に突っ込んで練習しないことにしました(音楽的に難しくて苦労しそうなので)。

あとダンテも久しぶりに弾いてみたら以前より無理なく弾けるようになっていて成長を感じました。というか成長していなければ困ります。

とりあえずポロネーズ4番に取り組んでみようかなという感じですがバッハのイギリス組曲も弾きたいし予定は未定。いろんな曲に手を出すけど最後まで仕上げないという悪い病気を発症しております。

心が叫びたがってるんだ。 がダメだったの巻

NHKで放映されたので見ましたが、とてもじゃないけどまともなストーリープロットだとは思えなかったので、以下、問題点を列挙します。

1.なにを表現したいのかよくわからない
細谷佳正内山昂輝がLoveなんだろうなとは思いましたが、それ以外がとても曖昧で焦点が定まっていませんでした。

2.共感を拒絶するわがままで身勝手な主人公像
ここまでヘイトを集める主人公も珍しいと思うほどのひどい主人公でございます。

3.驚愕するレベルのご都合主義
この舞台になった学校は天才が揃っているのか?と思うほどミュージカル制作がスムーズに進みます。フィクションではよくある話ではありますけど、野球部員がギクシャクする描写にかけた熱意の半分も感じられないほどあっさりと完成していきますので、ミュージカル上演に向かうカタルシスがありません。まあこれは「そこがカタルシスじゃないし」ということかもしれません。

4.母親の描写から逃げた
主人公の母親はステレオタイプ毒親として描かれているうえに、尺が割かれないためキャラ造形が極めて薄っぺらく表現されました。主人公があんな性格になった原因は母親からかけられた呪いの言葉なのだから、母親もきちんと掘り下げる必要があると思うのですが。主人公の同級生たちがかなり突っ込んで描かれるのと比べると、ひどくアンバランスです。この部分に関して、そういうもんだと片付けてしまってはいけないと思うのです。おそらく岡田麿里はこの母親を描くことを放棄したと思います。面倒なキャラだから。だから最後のシークエンスでこの母親が涙を流しても、ほとんど説得力がりません。説得力を持たせるだけの描写がなされていなかったのだから当然ですよ。
また、この映画のカタルシスは成瀬が呪いから開放される場面だと思うのですが、そのカタルシスを最大限に演出するには呪いをかけた魔女である母親との和解が不可欠だと思うんですね。これからも逃げました。やっぱり母親を描くのが面倒だから?勘弁してほしい。この部分が解決されないで終わるので、モヤモヤした気持ちが晴れません。

5.社会の描写から逃げた
これはセカイ系という便利な言葉を使いたいです。高校生の基本生活は学校と家の往復なのでセカイ系的になってしまうのは仕方がない面もありますが、それにしても世界観に広がりがなさすぎでした。ミュージカルは開いた世界を描ける場面になったと思うんですが、それを描く能力がなかったのでしょうか。それともやる気がなかったのか。

見終わったあとの感想が「聲の形ってすごい作品だったんだな」でした。似たようなテーマを扱いつつ、言いたいことを2時間で描ききったのはすごいです。セカイ系よりも狭い世界に閉じこもっていた主人公が開放されるシーンには圧倒的なカタルシスがありましし、難しい描写から絶対に逃げないという強い意思が画面から伝わってきました。こういう力のある本物のアニメーション映画が増えてほしいなと思います。

Windows10 1809(October 2018 Update)が自動適用されないPCを手動でアップデートするの巻

7年前くらいに HP pavilion dv6 というノートPCを買いまして、一昨年にWindows7.1から無料でWindows10にアップデートして、Windows10のテスト機として窓際で余生を送っていたんです。本日、思うところあってこのPCを最新のWindows10であるバージョン1809にアップデートしようとしたところ、セキュリティ対策のアップデートがいくつかなされたあとは「最新の状態です」と表示されてしまって、バージョン1803(1809の1つ前)からさっぱりアップデートできません。

仕方ないのでネットを検索したところ、手動でアップデートできるサイトを発見したのでそちらを利用しました。下記のマイクロソフトのこちらのページにアクセスして指示に従えばOKです。

https://www.microsoft.com/ja-jp/software-download/windows10

なお、このページはWindows10のパソコンでアクセスしないとだめです。違うOSやバージョンだと正しく表示されませんのでご注意ください。

 

少し調べたところ、古いPCでは1809へのアップデートが自動で適用されないケースがあるようです。これから職場でWindows10のパソコンを大々的に導入しようとしているのですが、アップデート関係の挙動がよくわからないことが多くて困っております。いろいろ不安ですわ~(わたしの本職は企業内情報システム屋でございます)。

 

※おまけ:Windows10のバージョン表記の見方
1803とか1809は「西暦2桁年+リリース月」と見ます。次期バージョンは1903ですが、リリースが遅れていてまだアップデートはできません。モタモタしているうちに1906になってしまいそうですね。

古参DTMerに優しくなった Digital Performer 10 の巻

自分はDAWとしてDigital Performer(以下DP)を使ってます。DPはバージョンアップ費用がお高いのでver 9.5のまま使ってたんですけど、DP10はフォントサイズが可変になったのでバージョンアップしようと思います。

特に使いたいのがイベントリストです。DP10以前のイベントリストはフォントサイズが9ptで固定なのです。昔(1990年代後半)の自分は、イベントリストを駆使して細かな打ち込みやMIDIデータ修正をやっていたんですが、この20年で老眼になったのでものすごく使いにくいんですね。それがようやく解消されそうです。

Performer(Digitalが付く前の、MIDIシーケンス機能だけだったころの呼び名)はもともとは1985年に発売された Apple Macintosh 用のDTMソフトでシェアが大きかったこともあり、DPユーザの年齢層は高いので今回の仕様変更はありがたいと思います。

それにしても、レコンポーザやVisionといった一世を風靡したDTMソフトがOSやハード仕様の変化についていけず消えていく中で、DPはよくぞ生き延びてくれたと思います。

ソナタと、ソナタ形式について学ぶの巻

ソナタ形式とはなんぞや?と長年思っていたのですが、Wikipediaに答えがあった(笑)

アドルフ・ベルンハルト・マルクスという19世紀半ばに活躍したドイツの音楽評論家が、ベートーヴェンピアノソナタに見られる提示部~展開部~再現部という構造のことを「ソナタ形式」と呼称したという、ただそれだけのことでした。これが1857年のことです。後付けの理論だから、ソナタ形式に則っていないソナタがたくさんあるのは当然です。

ちなみに1853年にリストがピアノソナタを発表したときに、あまりにもユニークな曲だったから当時の音楽界で大炎上となりました。そうなった理由は、マルクスが理論として示す前から、ソナタとはこういうものだ、という不文律があったからでしょう。

では、その不文律とはどのようなものなのでしょうか。1857年以前の作曲家は、ソナタ楽曲の形式をどのようにとらえていたのでしょう?そしてどのように作曲を学んだのでしょうか?

ソナタ形式にみられる主テーマと対立テーマの提示~それぞれの展開~結論という構造は、基本的な論説(≒物語)の構成であり、それは音楽というより修辞学の範疇の事象になります。録音技術がなかった時代には、音楽は1回しか聞かないことも少なくなく、一発で起承転結が明確にわかるようなはっきりした構造が要求されたはずです。そこから音楽修辞学として発展したと考えられ、その中から生まれたのがソナタ(器楽曲のこと。対義語は「歌曲」)だったと考えられます。

ということで今回はここまで。
ソナタ楽曲の成立過程はとても興味があるので、今後も勉強していきたいと思います。あるピアニストが、リストのピアノソナタは人生を表現していると言っていました。そのとおりだと思います。なぜそのとおりだと思えるのか、きちんとした言葉で説明できるようになるのが目標です。(目標は高く据えるのよ)

宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち BGM「大帝ズォーダー(ピアノ)」と、きのう何食べた?のBGMを演奏してUPしましたの巻

本来ならGW中にUPしている予定だったのですが、アイドルマスターSideMのライブやらなにやらで遅れてしまいました。


宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち BGM「大帝ズォーダー(ピアノ)」を弾いてみた:楽譜付き Space Battle ship / Star blazer Yamato 2202 OST

大帝ズォーダーは以前にヤマト2202第9話から耳コピして弾いていますが、今回はサントラ盤vol.2のもので弾いてます。彬良さんのピアノ曲はとても繊細な演奏表現が要求されるので難しかったです。ハネケンのピアノは昭和時代からコピーしていてまだまだ至らぬところが多いと感じていますが、彬良さんのオリジナル曲のコピーを始めたのがヤマト2199からということでまだ10年も経ってないので無理もないことだと自分で納得しています。

 


よしながふみ原作「きのう何食べた?」のBGMをいろいろ弾いてみた・その2:楽譜付き

きのう何食べた?」は2話~5話あたりの曲を4つ耳コピして演奏しました。前回はやっつけ感があったので、この動画はしっかり準備して自分自身が満足できる演奏をしました。準備というのは物理的な練習のことではなくて、ドラマを何度も見て劇伴の使われた場面に合わせて演奏表現を考えるという作業です。自分の動画を見た人が、その場面が思い出されるような演奏ができたらいいなと思っています。

使用した楽器は「大帝ズォーダー」と「きのう何食べた?」の後半2曲がヤマハ MONTAGE 8 のCFXで、「きのう何食べた?」前半2曲がローランドのINTEGRA-7です。MONTAGEはなかなか慣れなくて難しいですがペダルを踏むとフワッと音響が広がるので、そういう効果がほしい曲で弾いてます。INTEGRA-7は付き合いが長いので癖がよくわかっていますし、MONTAGEで弾くことでさらに実力を発揮できるようになったと思います。