ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破の演出についての巻

はじめに

ヱヴァンゲリヲン新劇場版を序、破と見てきて、破の演出のグレードアップぶりに驚いたので少し書きます。ネタバレがいやな人は読まないでください。

「繰り返しの物語」

庵野総監督の言う「繰り返しの物語」が演出上でも生かされていた。庵野氏の作品にアニメや特撮へのオマージュが満載なのはいつものことだが、今回はエヴァンゲリオン自身からの引用やリフレインが多かった。これはバック・トゥ・ザ・フューチャースターウォーズなど三部構成映画によくある演出なのだが、エヴァの場合はちょっと変わっている。リフレインの中で差異を付けることで、登場人物を印象付ける演出が効きまくっていた。ちょっと例をあげてみる。

  • リフレインとは言うものの、アニメで「バンク」と言われる手法(全く同じセルを使いまわす)はあまり使われない。つまり、絵は新たに描きおこしている。ここに今回のこだわり(単なるリメイク、リビルドでは済まさないという心意気)が見て取れる。
  • タイトルカット後の序盤シークエンス。ミサトの運転するクルマでネルフ本部に向かう、というシチュエーションは「序-1.11」と同じである。序・破どちらにおいてもミサトがシンジを揶揄することで、ミサトの幼稚さを強調している。1.11でこのシーンにカットが大幅に追加されたのは、「破」との対比上非常に意義が大きい。
  • そのミサトのクルマがまたしてもベッコベコに壊れるのはもはや伝統芸能の域だろう。
  • アスカとストローのシーン。ここのポイントも、ビールを飲むミサトのアップからの一連のシークエンスとして「序」のリフレインになっている。コミカルなお色気シーンだが、最後に飛び蹴りを加えることでアスカの気の強さを印象付ける。*1ビールを飲むミサトは「序」のバンク。なおビールをゴクゴク飲むミサトはTV版でも何度もバンク利用されている。
  • シンジの登校風景。これも「序」と全く同じ歩道橋の構図から始まり、シンジ君は最初の1秒は序と同じちょっと憂鬱そうな顔をしているのだが、すぐ表情が明るくなる→歩道橋下で3バカトリオ集結→元気に登校、となる。ほんの数秒で、日々の生活は最初から変わらずに続いているが、人間関係は良い方向に変わっているよ、ということを表現した。ちなみにこの直後の街の風景(文房具屋)のカットも序のリフレイン。
  • 「マリ、来日」のシーン。ここも一連のシークエンスで「序」のリフレインとなっている。学校の屋上で一人で寝っころがってSDATを聴いているシンジ君(最初のアップの1枚だけ序のバンク。SDATはいつものように25〜26のリフレイン)〜マリが来て(新たな展開)〜マリが走り去りシンジ君だけが残される(序と同じ構図・タイミング)。序では綾波がやっていたことをマリにやらせている。マリは登場シーンが少ないので、挿入された新たな展開の部分は、マリのキャラクターを観客に印象付ける上で非常に重要である。
  • その後のネルフ本部内のシーンでSDATが27曲目の再生をしようとして、故障する。ここは「破」の中で最も重要といってもよい場面だ。要はマリという異分子が挿入されたことで、TV版から延々と続いていたリフレインがついに破綻したのである!!(な、なんだって〜)
  • 夜の綾波の描写。いつも工事現場→マンション内、というシークエンスになっている。最初のシーンはゾッとするほど怖い。暗い部屋の中で、リツコからもらった薬をガサゴソする効果音だけが響く虚無感、孤独感。TV版末期の展開を思い起こす、エヴァらしい痛い演出である。*2
  • やはり夜に包丁を持つ綾波。このカットは、TV版24話でセントラルドグマに降下するカヲル&エヴァを睨みつけるシーンの原画に包丁を書き加えたもの(笑)。あの原画をこんなシーンで引用するなんて、どうかしてる。マジなのかギャグなのわからん←綾波は大真面目なのだが、他人から見るとギャグ、というオチ。
  • 食事シーンが繰り返される点には少々違和感を持った。零号機捕食の伏線としては良かったけれども、綾波ばかりかアスカまでを餌付けで懐柔するとは思わなかったので。*3綾波は「序」で見せた変化の延長線上と捉えればそれほど違和感はないものの、アスカの心情変化はもうちょっと説得力のある展開が欲しかった。ただしそれをするには絶対的に尺が足りない。そこで、新劇場版がTV化されたらおもしろいな〜、なんて邪念が浮かんでしまった。
  • 「今日の日はさようなら」と「翼をください」。100分の中で同じことを2度くりかえすのは勇気がいる。正直なところ「翼をください」が始まったときは、またかよ、と思った自分がいた。ただし展開されるストーリーがくぁwせdrftgyふじこlp;@な内容だった上に、次に述べるようにアレンジがすごかったので感動したけど。
  • その「翼をください」のアレンジ。最初のサビで「甘き死よ、来たれ」に近いリズム・セクションが入るので、「まごころを、君に」を覚えている人には複雑な感覚を思い起こさせる。あのときとほぼ同じ絶望的状況から、愛と涙が炸裂する感動の大団円に至るとは誰が予想しえただろうか。*4
  • ほかにも首締め初号機や、ネルフ本部での地団駄初号機、ゼルエル内の無数の綾波、など「まごころを、君に」のリフレインが多く見られる。これらは否定されることが多く、積極的に旧作との違いを打ち出している。

エヴァという作品は、特にTV版が低予算だったため、どうしてもバンクや止め絵が多くなってしまい、苦肉の策として「これは演出だからね!」というノリを持ち込んでいたように思う。新劇場版(特に破)は予算が潤沢だったようで、伸び伸びと制作されたことがうかがえる。

音楽について

庵野総監督は音楽にも相当に深く関わっており、今回それを強く印象付けるシーンがたくさんあった。以下に例をあげてみる。

  • 基本的に、BGMの音量バランスが大きい。この音量はおかしいだろ、というシーンがあちこちにある。マヤ出勤シーンとか。
  • 足が長くなったマトリエル(笑)出現シーンを打楽器だけで開始したのは偉い。抜けの良い青空の絵と、暴力的なパーカッションの対比が素晴らしい。
  • 彼氏彼女の事情」の曲を大量に、しかも重要なシーンで使った。これは「過去作品からの引用」の音楽版といえる。
  • その一方で、序ではテーマ曲といってよいほどあちこちのシーンで使われた「ハリネズミのジレンマ」が全く出てこなかった。ハリネズミのジレンマはシンジ君の心境そのものであり、それを使わないことでいままでのシンジ君とは違うよ、ということをはっきり提示していたように思う。
  • 「今日の日はさようなら」が始まったときのイヤ〜な感じは忘れがたい。「トップをねらえ!」最終回のハレルヤとは逆方向のベクトル。
  • だからあそこでタナトス流すのは反則。TV版19話はシリーズ中でも最高傑作といわれる回だが*5、今回の映画はそれに加えてTV版23話が含まれたような展開なので、本当に涙が止まらなくなる。
  • 庵野氏がミックスダウンで楽器のバランスを決定している。「翼をください」のクライマックスでひときわ輝くトランペットの素晴らしいフレーズが浮き上がり、感動をいっそう盛り上げるのだが、庵野氏の「ブラス上げて」の一言があった模様。大正解です。
  • というわけで、庵野ロジックおそるべし。今回のサントラは何度もオーケストラのセッションを重ねたり、アレンジを追加したり、お金と手間をかけすぎのように見えるのだが、解説を読むと、どうやら昨年末あたりに庵野氏からリテイクが出ている。庵野ロジックとは、画面の密度が高い→音の密度はもっと高く、ということ。画の仕上がり状況を把握して、音楽のグレードアップが必要と判断を下したのであれば、それは素晴らしい判断だ。
懺悔
  • サントラを聴いていていろいろ思いついてしまい、こんな長文を書いてしまった。反省はしていない。
  • というか、エヴァ+解説というキーワードで訪問する人が増えているのにまともな解説がないのはまずい、という思いがあった。
  • 現時点で破の視聴回数は4回。

*1:お盆が邪魔

*2:ここからポカポカに至るなんて誰が想像する?

*3:餌付けしただけでなくいろいろな積み重ねはあったのですが

*4:いや、まだ終わってないんだけど。

*5:先日観なおして、あまりの完成度の高さに驚いた。