見てきました。
全体的に登場人物が感情的になりがちで、田中泯が演じる平山忠道以外が子供の駄々を繰り広げているように見える場面があるのが残念でした。終盤になって、これは平山をラスボスに持ち上げるための演出ということがわかり、そりゃないぜ、という気分にさせられるのであります。
主人公もエキセントリックな帝大中退の人という状況から始まって、中盤以降どんどん熱血漢に変容するのがいただけないです。主人公に感情移入させようという演出の作為が丸見えであります。これも平山をラスボスに(以下略)
そんな中で、主人公の部下になる田中正二郎が極めておいしく描かれます。この人は終盤までは主人公と裏事情を共有する観客の立場で描かれます。最初は半目しているのに徐々に惹かれていって堕ちるというスキームが琴線に触れる腐ったクラスタがいるのも無理はありません。田中は終盤まで裏事情を観客と共有するにもかかわらず、ラストシーンでは裏事情を知らない立場になるという難しい役どころですが、とにかく柄本佑の演技が光ります。助演男優賞ものです。
テーマは近年流行の「太平洋戦争に敗戦した意味の再定義」で、この映画はとりわけ戦艦大和を再定義しました。
平山が大和を依り代にして日本民族を再生させる、などとうそぶくのは失笑ものであります。エヴァを依り代にして人類補完計画をするとか、重力に魂を引かれた人類を宇宙に上げることで開放するとか、できそこないの人類を全滅させて新たな知的生命体の誕生を待つとか、昔のアニメのラスボスたちと同じ妄言です。だから我々はこういうサイコパス野郎を明確に否定しなければなりません。しかしこの映画の主人公は、それができなかった最低な人間なのであります。
こういうテーマを実写版宇宙戦艦ヤマトの監督が手掛けるのです。敗戦から250年後に大和は宇宙戦艦として復活します。ちなみにこの映画の冒頭の戦闘シーンにおける大和の沈没の様子はヤマト完結編のオマージュでした。その描写は、まるで「大和はここで沈むのだ。宇宙戦艦になんかさせてたまるか」と言っているように思えます。
自分はいろいろ甘いのでラストシーンの主人公の台詞に泣きそうになりましたが、よくよく考えると主人公は美しく沈む大和を想像して射精して気持ちよさのあまり泣いたんだろうという結論に到達しました。みんな中盤からの熱血主人公像にごまかされてるけど、あいつは本来そういうレベルの変態でしょう。